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見ているもの、見えること…

昨日、地域の肢体不自由なお子さんとご両親の会の

発足に伴い、その集いに参加してきました。

前回が実は初回だったらしく、今回は第二回。

初回はお父さんがたもずいぶん参加されていたようですが

今回はお子さんとお母さん方ばかりでした。

そして我が家は家族全員で伺ったのですが、

参加してみて思ったのは、どちらのご家庭も

障がいの度合いや年齢は違えど、立場が非常に似ており

似たような悩みをお持ちなんだな、と。

特にお母さん方が多く集まってらっしゃったので

同性同士で話しは弾み、僕は次男チビ太と

途中抜けして隣の部屋で遊んでいました。

今回集まったところが学童保育所だったこともあり

乳幼児から高校生くらいまでが遊べる場となっていました。

家からすごく近くだったにも関わらず、ここを訪れるのも

始めてでしたし、また休日もたくさんのお子さんたち、

特に知的障害をお持ちのお子さんがいらっしゃっていることなど

始めて知りました。

学校や地域の障害者センターでお会いしなければおおよそ

僕ら父親は障がいをお持ちのお子さん方、そのご両親と

関わることはほとんどありません。

立場は同じで、私たちも長男チビ助の存在は知られていても

同じマンションの中、同じ階の方ですら関わることはありません。

同じ目線でいなければ、案外目に入っても見過ごしてしまう

ものなのかもしれません。

脳科学の文献でよく「人間は視界に入っているものが

全て”見えている”わけではない」と言われます。

”見える”とは見て、認識することであり、

認識しなければ記憶にも残らない、つまり見えていないと

なる訳です。

面白い実験で、実験者に周囲を一定時間見回してもらい、

目を閉じてから「●●色のものは何があったか?」と質問すると

あまり答えられませんが、事前に「●●色」というキーワードを

与えてやると、途端にその色のものが視界に飛び込んできます。

「●●色」に着目させると、実は認識していなかったものが

認識の中に入ってくるだけの話しですが、これを人は偶然と錯覚します。

「●●が食べたい」「××がほしい」「▲▲にないたい」と思っていると

そうした事柄に関連したキーワードが次から次へ視界に飛び込んで

きます。

僕らはこうして「思い」の方向に現実を近づけていっているんでしょうね。

話しは脱線しましたが、「見えること」は「意識すること」つまり「意識し、

記憶に残していき、未来を思いに近づけていくこと」で、やみくもに

限られた人生の時間を浪費することなく、より効率的に理想に近づいて

いくことができるんですね。

世の中にはいろいろな人がいます。

見た目に障がいがあってもとっても心が透き通っていたり、

見た目健常でも非常に心すさんで、廻りの人を傷つけていたり。

人間ってそう考えるとほんとに不思議。

人生って、いま目の前で起こっていることって本当に不思議で

奥深いと思います。

とりとめもなくなりましたが、最後までお付き合いくださり

誠にありがとうございました。

  感謝です。<(_ _)>

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